「南都七大寺」の版間の差分

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[[756年]](天平勝宝8)5月に「七大寺」の名が初見し「於二七大寺一誦経焉」と記載されている<ref>続日本紀 天平勝宝八年五月四日</ref>。七大寺は朝廷の保護を受けた。奈良時代には主要な寺は官寺(国営)であった。
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[[756年]](天平勝宝8)5月に「七大寺」の名は『続日本紀』の「於(二)七大寺(一)誦経焉」の記載が初見である<ref>続日本紀 天平勝宝八年五月四日</ref>。七大寺は朝廷の保護を受けた。奈良時代の寺院は「官寺」と「私寺」の区別があり、主要な寺は官寺(国営)であった。『続日本紀』大宝2年条の大官大寺、弘福寺、法興寺、薬師寺の四寺、または天平勝宝八年の御願寺すなわち南都七大寺が官寺であり、それぞれ寺領が給付された<ref>白鳳文化研究会編(2008)『薬師寺白鳳伽藍の謎を解く』冨山房</ref>。僧侶はいまでいう[[国家公務員]]であった。のちに「十三大寺」「十五大寺」と拡大された。
  
879年の清和上皇の大和国の名山巡礼から、貴族を中心に南都七大寺への巡拝が流行した。
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==七大寺==
 
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==七大寺巡礼私記==
 
==七大寺巡礼私記==
平安時代末期に南都七大寺などを巡礼した際の見聞記である。『七大寺日記』と『七大寺巡礼私記』が残されている。院政期の諸大寺の実情を知る史料として貴重である。一 般 には[[大江親通]]の著作と目されているが、異論もある。内容は、東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・西大寺・薬師寺・法隆寺の順に、各寺の縁起・堂舎・仏像などについて記し、そのほか[[行基]]の伝記を書き加えている。
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平安時代末期に南都七大寺などを巡礼した際の見聞記である。『七大寺日記』と『七大寺巡礼私記』が残されている。院政期の諸大寺の実情を知る史料として貴重である。一 般 には[[大江親通]]の著作と目されているが、異論もある。内容は、[[東大寺]]・興福寺・元興寺・大安寺・西大寺・薬師寺・法隆寺の順に、各寺の縁起・堂舎・仏像などについて記し、そのほか[[行基]]の伝記を書き加えている。
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==創立順==
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創立年代では次の順である。
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==注・参考文献==
 
==注・参考文献==

2021年11月13日 (土) 15:38時点における最新版

南都七大寺(なんとしちだいじ, Nanto Shichidaiji Temple)は奈良に所在する7つの大寺をいう。単に「七大寺」ということもある。

概要[編集]

756年(天平勝宝8)5月に「七大寺」の名は『続日本紀』の「於(二)七大寺(一)誦経焉」の記載が初見である[1]。七大寺は朝廷の保護を受けた。奈良時代の寺院は「官寺」と「私寺」の区別があり、主要な寺は官寺(国営)であった。『続日本紀』大宝2年条の大官大寺、弘福寺、法興寺、薬師寺の四寺、または天平勝宝八年の御願寺すなわち南都七大寺が官寺であり、それぞれ寺領が給付された[2]。僧侶はいまでいう国家公務員であった。のちに「十三大寺」「十五大寺」と拡大された。

879年清和上皇の大和国の名山巡礼から、貴族を中心として南都七大寺への巡拝が流行した。

七大寺[編集]

南都七大寺
寺名 正式名 宗派 本尊 所在地
東大寺 金光明四天王護国之寺 華厳宗 盧舎那仏 奈良県奈良市雑司町406-1
興福寺 法相宗大本山 興福寺 法相宗 釈迦如来 奈良県奈良市登大路町48
元興寺 真言律宗 阿弥陀如来 奈良市中院町11番地
大安寺 熊凝山 高野山真言宗 十一面観世音菩薩 奈良県奈良市大安寺2丁目18-1
西大寺 勝宝山 四王院 西大寺 真言律宗 釈迦如来 奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5
薬師寺 法相宗大本山 薬師寺 法相宗 薬師如来[3] 奈良県奈良市西ノ京町457
法隆寺 法隆学問寺 聖徳宗 釈迦如来 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1

七大寺巡礼私記[編集]

平安時代末期に南都七大寺などを巡礼した際の見聞記である。『七大寺日記』と『七大寺巡礼私記』が残されている。院政期の諸大寺の実情を知る史料として貴重である。一 般 には大江親通の著作と目されているが、異論もある。内容は、東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・西大寺・薬師寺・法隆寺の順に、各寺の縁起・堂舎・仏像などについて記し、そのほか行基の伝記を書き加えている。

創立順[編集]

創立年代では次の順である。

  1. 元興寺 596年
  2. 法隆寺 607年
  3. 大安寺 617年
  4. 興福寺 669年
  5. 薬師寺 680年
  6. 東大寺 728年
  7. 西大寺 765年

注・参考文献[編集]

  1. 続日本紀 天平勝宝八年五月四日
  2. 白鳳文化研究会編(2008)『薬師寺白鳳伽藍の謎を解く』冨山房
  3. 正式には「薬師瑠璃光如来」という。創建時は「阿弥陀三尊繍仏」が本尊であったが、享禄の兵火(1528)により焼失した。